2019年08月

20190831


きょうもくもり こんしゅうはずっと雨またはくもり

衛星みても 日本の空から雲は消えない

四国沖に分厚い雲

東にながれれば また近畿東海へ

青木とか テレビで 韓国人に日本女性が乱暴されたことは
取るに足らないとか 言っているようだが
こんな奴がテレビに出て堂々と まかり間違った発言をすることに
怒り心頭に覚える

どづいたろか と思うほどである

人間の尊厳も国の誇りも何もない
 森永というやつもまた老後に6000万必要
75歳まで働けと暴言を吐く

政治屋官僚大企業天下り小役人 馬鹿な知識人と称する輩

これでは日本に未来はない

 相変わらず空はくもり

あさにはよめはんにうどん定食を作り
ドラマ開成高校生殺人事件 をみて
囲碁して 一日は過ごす
和歌山に釣りに行きたいけれど あいにくの空模様

もう明日から九月 何時まで生きるのやらとふと思う。

それにしても最近は 韓国政府にしろ 日本の政治屋官僚にしろ

どだい 民のためなどという考えはないらしい

みな私利私欲に生きている つまらん世の中になったものだ


日記 土曜日はエイラク  20190824

朝起きて 玉ねぎとアサリの味噌汁食べて
朝風呂に入る
テレビを見ていると 朦朧として眠くなる
プチゾラムのためかな?
 ようやく目が覚めて 囲碁数局 パンダネツトで
 脳が疲れる

脳疲れ しばしうつろに 白昼夢

  浮かび上がる 古の友たち

 しばし座禅にて わが半生を思う

大義あればいつにても死さん也
大義なくば 迎待つのみ也

13時からエイラク これは面白い

変化なし 日常也 今日は仕事

四文字熟語で遊ぶなり

https://www.gamedesign.jp/flash/yojifla/yojifla.html

たばこの煙の如く。

4月の日曜日 夜も世も明けきらぬ丑の刻

目覚めるものの 脳下垂体は朦朧として

ほど良き42度の浴室にて身暖まり

ラーク9を一服する。

「喫煙はあなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高めます。」との

ラベル印刷がなされているにかかわらず まるで無視する。

たばこが危険性を高めるとはおかしなことよと自嘲する。

中國北朝鮮の紛争 韓国元大統領の逮捕 アフリカ難民 

イスラムCS国の台頭 日本の政治 いやはや世界のニュースには

たばこ以上の危険性を高めることが目白押し。世俗を捨てたわが身といえども たまに見るニュースには辟易する。

カネの亡者の如く健康元気という大義名分のもと 巷には インチキ臭いサプリ機能性食品が氾濫している。

世の明けきらぬ都会の朝は 嵐の前の静けさを漂わせ

みな深く寝入っている。

目の前の人参に一喜一憂する人心のはかなさと 果てなき強欲と平和と安らぎ安心を求める。

人はみなその本質において虎狼のオオカミ。

電車に乗りあたりを見渡せば みなスマートフォンなる現代利器に熱中して まさに情報の渦の中にほうりだされている。

水も食料も生活の便利さも 自ら求める者はなく すべて経済という組織を通して与えられている。

アマゾン原住民の如く 自然に与えられた生活サイクルはすでになく

一人の風邪が たちまちにして世界に蔓延していく脆弱性の中にきずかれている。 それでも進むがいい。進む以外に道はない。 道の果てに行きついたら それまでのことである。 

こじんまりとした家に住み 職をもって賃金を得て食と水を得て

生命を維持して 文化なるものを求めて物質と精神のバランスを維持 追及して 戦いを得て勝者と敗者を差別区別して 勝者は高らかに安心と裕福を得て 敗者はあざけりを受ける。

「花 無十日紅 権不十年久」もなんのその 世界は永久に続くものだと

不確かな未来を確信する。

瞑想は迷走になり 名僧に至らず。

小さなと脳と脆弱な身体が巨大建築を成し得る不思議さ。

知能という偉大なる武器を駆使し 動物世界の頂点に君臨する

何千年という人間世界の織りなしたヒストリー。

 そのヒストリーは どこまで続くのやら。

 



20190823 日記


きのうは午前三時過ぎに寝たけれど
六時には眼が覚めた。

久々に血糖値計りまずまずだ。

千秋太后見て 朝食食べて

ホッとしている。

よめさんはまだ寝ている。

 すこし目が重く眠たい。

もう四時になった

夕食の準備はできた。 赤魚と 鯛のアラと大根の煮つけ
キュウリのサラダ 質素に行くというより それほど食欲もない

テレビドラマも面白いものはないし 囲碁を数局打ちながら 時を過ごす

色も欲も次第に薄れてゆく

壁にかかった 達磨禅師 法眼無染作と 
寺田千恵さんとのツーショット写真を見ながら瞑想に更けて一局打つ


冬の恋

「若き日も いずれは老いる その冬に

      暖炉囲いて 笑顔絶えなん」

「初恋も 遥か遠くに 霧となり

      鳴門の海に 呑込まれゆく」


「恋すれば 俺の命は 君のもの

      君の命は 君のものなり」

従兄きたる  8月22日 晴れ

わたしにはたくさんの従兄がいるだろう。
けれど 何十年と付き合っている従弟従妹は少ない。
わたしとは10歳違い わたしの親たちはともに 長女長男の子であり
わたしは7歳近くまで 田舎でよくこの従兄に面倒見てもらっていたようだ。
 わたしの知らない我が家のことも わたしの知らない両親のことも
色々よく知っている。
10時30頃家に来て12時近くまで家で話 昼飯に近くの
中華料理を食べに行き それから駅前の喫茶店で珈琲を飲み
4時近くまで話した。
両親のこと 親族のこと 昔の田舎の話等々
わたしのよめはんも交えて話しした。
 従兄の子どものこと 孫のこと ゆうや たくや の五人の孫のこと。
 みなできた孫である。
なんでも 長女の孫は たいそう金儲けしているらしい。
26歳ながら 高級車にのり マンションの最上階にすみ
小遣いもくれるようだ。かなり儲けてやり手で 連れてくる女も毎度違うらしいし孫たちの中では
リーダー的存在らしい。
 そもそも 長女の婿の家はたいそうカネモチで
先日 婿の弟は親の売った土地代金8000万もらったらしい。
やはり頭の良さの血筋だろう。

結婚するときカネ持ちを選ぶより可能性のある才知を選ぶのは一つの才覚。
カネがいくらあっても明日はゼロかも知れない。

いつまでもあると思うな親とカネ

けれど 才知というのは 枯れることはない。

従兄は幸せだなという。

従兄夫婦のよめさんも私の田舎の幼馴染だから
もう50年以上の付き合いだからよく知っている。

わたしの妹たちはほとんど付き合いはないが
従兄に言わせると これは家系らしい。
従兄 は私のことを弟のようだといい
ほんとに生まれてから死ぬまで付き合うのは この従兄ぐらい
かもしれない、
家も路線でいえば 五駅しか離れていないから
どちらか先に逝くかも知れないが 
ともに線香だけはあげるだろう。

来月は インターネットボートをする予定で 一万円預けて帰った。


司馬遼太郎と最強ヤクザ「殺しの柳川」の知られざる交遊



写真3枚



 山口組きっての武闘派・柳川組を率いて、「殺しの柳川」として恐れられた柳川次郎(1991年没)は、堅気になった後、一転して日韓の橋渡しに奔走した。生前、柳川と交流した人物は、スポーツ選手から韓国大統領まで多士済々だ。なかでも異色の存在は作家・司馬遼太郎だった。ジャーナリスト竹中明洋氏が綴る。

 * * *
 司馬の代表作に国内外を訪ね歩いた『街道をゆく』がある。このなかに韓国を取り上げたものが2巻ある。1972年に単行本が出版された『韓のくに紀行』と、1986年に出版された『耽羅紀行』(たんらきこう)だ。耽羅とは、古代から中世にかけて済州島を支配した王国のことである。司馬は1985年に2回にわたってこの島を訪ねて取材した。

 だが、実際には司馬はビザの取得に難儀していた。申請したがすんなり出なかったのだ。今でこそ日本人が韓国に行くのに、ビザの取得は不要だが、日韓が相互にビザを免除するようになったのは、2006年からのことだ。

『韓のくに紀行』取材の際には、ビザは問題なく出た。なぜこの時はそうはいかなかったのか。どうやら、80年に司馬が当時の首相の鈴木善幸と外相の伊東正義宛に送った書簡が問題視されたようだ。

 クーデターで政権を奪取した全斗煥が野党指導者の金大中に死刑判決を出したことを受けて鈴木と伊東宛に書簡を送り、その助命を祈るとしたためていた。司馬は朝日新聞(1980年11月4日付)に、「だれが見てもバランスを失したかたちで一人の政治家が殺されることについては、市井人としての憤りと当惑とやるせなさを感じます」とも語っている。

 全斗煥政権は司馬を危険視したのだろう。このままでは取材に行けない。その司馬に「(全斗煥と繋がりの深い)柳川と会ってみたらどうか」と助言したのが、かねてから司馬と親交が深かった、ある在日の文化人だ。司馬からの打診を人づてに聞いた柳川は、すぐに会うことを決めた。柳川の元側近によると、「会長は意外とミーハーなところもあって、えらいはしゃぎようで喜んでましたわ」。

 さっそく、新宿の京王プラザホテルで午後6時に待ち合わせすることになった。だが、待てども司馬は現れない。時間に厳しい柳川は、約束の1時間前には到着する。そして相手が10分でも遅れるようなら怒りだすところがあった。

 約束から30分ほど経たあたりだろうか。司馬と、紹介者の在日文化人が悠然と歩いてくる姿がみえた。どうも待ち合わせの場所を勘違いしていたらしい。元側近は、「それを知った会長は私に向かって『お前の手違いやろう』とカンカンになって怒り出したんです。それを見て司馬さんも『そんなことで怒るな』いうて怒りだして。もう無茶苦茶でしたよ」。

とにかく泉岳寺のコリアンハウスで夕食をしようということになって、タクシーで向かった。助手席に柳川が乗って後部座席に残る3人がぎゅうぎゅう詰めで座った。そうこうするうちに、車内に不思議な笑いが起き始めた。

「どちらからともなく、『あんたも大概短気やな』と言い出した。大の大人がこんなことで言い争いしててもしょうもないということにやっと気付いたんでしょう。それからは急に意気投合したんですわ。泉岳寺につくなり司馬さんらの話を聞いて、会長は『分かった』と頷いてましたわ」

 すぐに柳川の根回しでビザが下り、司馬は、在日文化人とともに取材旅行に向かうことができた。在日が多く住む東大阪に居を構えた司馬には、在日の友人が多い。大阪には「4・3事件」(1948年4月に済州島で起こった民衆蜂起と、その武力鎮圧にいたる一連の事件)によって、韓国を出た済州島出身者が多い。いわば、この書は友人たちの祖国を本人たちに代わって訪ねる書でもあり、島の習俗を観察する司馬の優しい目線が印象的である。

司馬遼太郎は1993年に文化勲章を受章

写真3枚



 元ヤクザと国民作家、互いに共通する何かを感じ取ったのだろう。立場も出自も異なれど、志さえ共有できれば人として接することができる。それが昭和という時代だった。

*『殺しの柳川』(小学館)を再構成。同書刊行イベント「最強の武闘派ヤクザ・柳川次郎とは何者か」(竹中明洋氏×山根明氏対談)が8月23日にジュンク堂書店大阪本店にて行われます。(詳細

https://honto.jp/store/news/detail_041000036076.html?shgcd=HB300


https://www.news-postseven.com/archives/20190816_1432314.html/2

https://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/180514/evt18051416500027-n1.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E6%AC%A1%E9%83%8E?fbclid=IwAR1fQzMkKHWgKT9M-163dbIdk6sZVnfMpFHqxiFzbblZFv7gCnd5WQYemcQ


関連ニュース

夏の終わり


21日 雨模様 水曜日

五時半に目覚める。茄子と豆腐の味噌汁作りながら
 朝風呂に入る。
汗を流して きょうも四時から仕事
今週は仕事は三日。嫁さんはまだ寝ている。
映画 ブルースウィルスのREDを見ながら 
造った小さな海苔巻きおにぎりと味噌汁を食べる。
脳の働きというのは 不思議なものだ。

囲碁は長い間スランプで打てば負けていたのが 先日以来
もとの調子に戻った。なぜ負けていたのか?
短気なせいもあるだろう。

攻撃されたらくそったれと 腹立てながらこちらもかかる。
冷静さを失うのである。
心のどこかになにかわだかまりがあるのだろう。
その夢を見た。
横道にそれた知り合いが気になって仕方ない。なんとかと思うけれど
本人の意思はなく どうしようもない。
心のどこかにそれが重くのしかかる。
 運命さな その子のそれが運命と思うことにしよう
おれが死んだあと どんな道を歩くかわからない。
非情になろう。無情になろう。
人は所詮定められた道しか歩めないのだ。
良かろうと悪かろうとそれが自分の決めた道なら
その子も悔いがあっても不幸になっても仕方ない。
最後には自らが決めるしかないのだから。


おはよう

ひとりの訪問読者さん
過去を振り返らず まえだけを見て生きよう


世界は広い 人間は小さい


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