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あなたは わたしを好きなんだ。 心理テスト


ストーカー度心理テスト


ストーカーが始めて注目されたのは 1988年のローラブラツク事件を契機としている。 この事件では彼女の同僚が彼女をストーキングし続け、最終的には、会社でほかの社員を多数銃殺するという悲劇的な結末を迎えた。
それを契機にカリフォルニアで初めて「ストーキング防止法」が成立した。
ストーカーは男ばかりではない。女も同じくらいいるといわれる。けれど
それでも女性が男性に付回されることのほうが、恐怖や危険性が高くなることは
必然かもしれない。


さて あなたの周りの人を見つめて、
もしかすると あなたがストーカーだったり することも、、


1愛しさ憎しみを同時に感じることがある。     はい   いいえ
2気が付くと自分のことばかり話していることが多い。はい    いいえ
3異性と話すのは得意ではない。          はい    いいえ
4幼い頃 母は自分を充分に愛してくれた。      はい   いいえ
5マザコンである。                はい    いいえ
6母親を憎んでいる                 はい   いいえ
7恋愛経験は少ないか または長続きしない     はい    いいえ
8他人の会話を盗み聞きしたいとは想わない。     はい    いいえ
9感情の変化が激しく 自分では抑えられない     はい    いいえ
10恋人はわたしを甘えさせてくれて当然だ       はい    いいえ
11関係を終わらせるには、恋人間でも夫婦間のように 
一方が認めなければ成立しない            はい   いいえ
12→空想癖がある。                 はい  いいえ
13→目的のためなら手段をえらばないところがある.  はい いいえ
14→ たまには人に嫌われてもしょうがないと思える。  はい  いいえ
15 一目ぼれしやすい                  はい いいえ
16 同性の友人が少ない                はい   いいえ
17 遠距離恋愛は自分には絶対出来ないと想う。     はい  いいえ
18 愛し合っているもの同士は結婚するべきだ         はい   いいえ
19 疑い深い性格である                   はい   いいえ
20 人間関係はギブアンドテイク で当たり前である。     はい   いいえ


結果は次のページへ


設問  4  14   20   のみ  「いいえ」で一点
ほかは  「はい」が一点
0点から6点   自立した大人
7点から13点  少々依存的である
14点から20点  かなりストーカーの可能性がある。


分類はまだみかんであるが。医学博士福島章氏「参考ストーカーの心理学」に寄れば
1分裂症候群
2 パラノイド症候群 妄想
3 ボーターライン系 境界型人格障害
4 ナルシスト系  自己愛性障害
5 サイコパス系  反社会的人格障害


上原めぐみ 作成 宝島 「性格がわかる」より 引用
 
夕焼け小焼けの赤とんぼ、、 と歌い マニラの夕焼けを見ながら
 ゆっくり診断をどうぞ。。爆 4日後削除します。


 画像 マニラの夕陽よりhttp://blogs.yahoo.co.jp/yamadatrans




ライバル清少納言と紫式部の明暗を分けた男と女


 


平安時代の女性文学者 ライバル清少納言と紫式部の明暗を分けたものは


其の周囲の男と女の関係にあった。


「枕草子」の清少納言 「源氏物語」の紫式部。


この二人は仕えていた主が同じ一条天皇の妃であった。


清少納言は夫と離婚後、紫式部は夫と死別したのち宮中に仕えたといわれる。


 


清少納言が仕えていた定子は藤原道隆の娘 で定子と一条天皇は仲睦まじかった。


そこに弟 藤原道長(藤原兼家の五男)がここに自分の娘彰子を強引に割り込ませ


入内させる。彰子はこの時わずか12歳。


995(長徳元年)に定子の父道隆(道長の兄)が疫病のため病没。


道隆の子の内大臣伊周(これちか)も失脚して出雲に流される。


(失脚の原因 伊周は叔父道長と関白を争っていたが 花山法皇を自分の恋のライバルと思い込み 脅しのつもりで家来に矢を射かけさしたが それが実際に法皇の袖に当たり


このため伊周とその弟隆家は流罪となる。)


定子は宮中での後ろ盾を失う。しかし 一条天皇の寵愛は変わらなかった。


 ところが定子は出産のため24歳の若さでこの世を去る。


その後彰子は皇子 後の後一条天皇を出産して、道長の権勢が確定する。


道長を関白に推したのは道長の姉で一条天皇の母親 詮子である。


一条天皇は道長を関白にしなかったものの右大臣として翌年には左大臣とした。


清少納言の主 定子。 紫式部の主 彰子の明暗が 二人の運命を分けた。


 


清少納言は外向的で活発で誇り高い性格だったため宮中の生活を楽しんでいたようである。


枕草子でも才気あふれた簡潔な文章で定子のサロンを賛美している。


一方 紫式部は内向的で情け深い性格であったとされるが 「紫式部日記」の中で


清少納言のことを物知りぶった嫌味な女であるとこき下ろしている。


内向的な紫式部は何事にも積極的で活発な清少納言の言動が気に食わなかったのだろう。


が 清少納言には紫式部を批判した文献は見当たらない。


清少納言は衰退していく定子サロンにありながら宮中の華やかさ 楽しさを書きとどめ


紫式部は繁栄し続ける彰子サロンで仏教的無常観の漂う「源氏物語」を書いた。


 定子と彰子が並び立っていたのはわずか一年余り 実際には清少納言と紫式部も顔を合わせたかどうかわからない。


二人は仲が悪かった??????


 


 


定子の没後 清少納言は宮仕えを辞めて筆を断ち 世間を避けるように隠棲


田舎でひっそり暮らしたといわれる。


落ちぶれたという伝説もあるが その後のことははっきりわからない。


一方の紫式部は 長く彰子に仕えたらしい。


後ろ盾は彰子の父親 藤原道長。源氏物語のモデルは道長だという説もある。


清少納言と紫式部の明暗を分けた 男 藤原道隆と 弟 藤原道長


 女 一条天皇の妃である 定子と彰子が


平安時代の女流文学者の二人の運命 没落と安定を


あるいは決定したのかも知れない。


 


道長は権勢を極め 


「この世をば わが世とぞおもう望月のかけたることもなしとおもえば」


と威子(むすめ)の立后を祝う宴席で詠んだ 道長が求めたのは極楽往生であった。


清少納言 生没年不詳と紫式部 996-没年不詳


 
は清少納言派 それとも紫式部派?????


 


参考引用


歴史の意外な結末 日本博学倶楽部 PHP研究所発刊 



 昨日は 「起死回生日本史 


逆境に負けなかった男たち人物伝 竹書房」





の本を読み戦国の世から昭和の歴史の中で生きた




50人の生き様を読む。







人生において だれにも必ず一度はどん底の時期が訪れる。





敗北 失意 挫折 貧困 などの苦難の中で





それでも決してくじけない あきらめない男たちがいた。





その見事な生き方は昨今天下泰平の世の中からは 


想像もできない





諦めないことの大切さを教えてくれる。





政治家のいない この日本の憂いは 未来永劫に続く。





くじけなかった 50人の生き方は 何かを教えてくれる。





歴史の意外性も ここにある。





 参考 起死回生の日本史 逆境に負けなかった男たち


     歴史人物発掘会編 竹書房




アルキメデスは手を汚さない 世代の断絶

この本はかなり昔 昭和48年(1973年)江戸川乱歩賞の受賞である。
わたしの祖父が亡くなって3年後 まだ私も20代前半のころである。
江戸川乱歩の作品も色々読んだ。
乱歩賞をもらった私の好きな作家は佐賀潜 陳舜臣 森村誠一
斉藤栄など私の愛読した作家たちである。
作家の才能は私にとっては羨望この上尽きない憧れであり希望であつた。
が哀しいかな天は我に物書きという才能をまったく与えなかった。
この作家小峰元は大阪外語大学スペイン語科 
貿易商 教員 毎日新聞編集委員等
多彩な職業経験を積み 西洋事情に詳しい。

アルキメデスは、紀元前287-212年之古代ギリシアの数学者、物理学者
発明家 天文学者として知られているが生涯の全容は明らかではない。
紀元前221年というと中國では秦 始皇帝が中國統一を果たしたころである。
アルキメデスは一方では戦争の武器となる投石機なども考案している。
武器は このアルキメデスは手を汚さないの一つの命題になっている。

この小説の主人公は当時の現代高校生群像である。
一人の女子高生美雪が妊娠中絶の失敗で死ぬ。父は工務店を経営する
柴本健次郎。美雪は最後まで相手の男の名を明かさない。
臨終の寸前「アルキメデス」とうわごとを言って亡くなる。
父は誰が娘を妊娠させたのか復讐を考え 
芳野という 小悪党に調査を依頼する。
アルキメデスとは誰か・・

次に豊能高校のクラス内の弁当せり売りで買った弁当を食べた
柳生隆保がヒ素中毒で倒れる。
田中がセリ打った内藤の弁当を食べた柳生。
毒物をいれたのは誰か???

さらに 柳生の姉美沙子と不倫関係交にあった妻子持ちの
亀井が失踪し他殺死体となって殺される。
誰が亀井を殺したか??

高校生群像の男と女をを取り巻く事件の数々
それにかかわる 教員の藤田 ベテラン刑事の野村と 若い刑事大塚
柳生の母 幾代 姉 美沙子
そして高校生の 柳生 内藤 延命美由紀 田中  峰  荒木たち

古い世代と新しい世代の断絶

 親と子が互いにその感情を交錯させながら事件は推移する。

1972年代には 連合赤軍のあさま山荘事件があり
 田中角栄が「日本列島改造論」をぶち上げ日中国交が回復し
日本が高度成長時代にあったころである。
あれからすでに43年の歳月が流れ 当時の高校生もすでに還暦を迎えている
時代である。

新陳代謝・・・ 新しき世代もいつしか古き世代となる。

高校生妊娠中絶に事件の発端を期するこの小説。
1999年代の男子高校生のセックス経験率は26.5パーセント
女子は23.7パーセントと調査統計されているが
現代ではもっと進んだ数字になっているだろう。
青少年少女時代か誰もが通過し その時代に応じた様々の経験をする。
凶悪犯罪もときおり起こる。
あの神戸の酒鬼薔薇事件の生々しさを起こした犯人には
反省悔悟の念も見受けられない。
広島に原爆を投下した副操縦士ロバートルイス大尉は
直後
「神よ、われわれは何ということをしてしまったのか。
人間が目にした最もすさまじい爆発だ」と言ったように言われているが、
飛行日誌を競売に出して37000ドル(当時で1300万円)
を手にしたといわれている。
彼の口からは広島の犠牲者を悼む声はなかったといわれ、また
原爆の投下レバーを引いた爆撃手のトーマスフィアビーも
罪悪感はなかったといわれる。??

アルキメデスが開発した数々の武器投石機などは
大勢のローマ兵を殺した。彼は機械を発明しただけで
 実際の操作したのはシシリーのイラクサの兵士たち。
原爆を発明したものも アルキメデスも手は汚していない。
その武器は多くを殺戮した。

現代は「物欲と名誉欲と権性欲のるつぼと化した社会」になりつつある。
賢き者は手を汚さずに手に入れる。
高校生も大人も正義を貫き不器用に生きる者
あるいは現代流に現実に即して生きる者
また逃避したり瞑想したり夢想した厭世的に生きる者さまざまである。
この小説の中のラストシーン
田中の生き方は妙に明るく屈託のない現代的な生き方かも知れない。

惜しむらくはなぜかこの小説には推理の強い骨格を感じなかった。




ロバートルイス

アルキメデスは手を汚さない 小峰元 講談社文庫発行


東洋のマタハリ 川島芳子の哀しい最期 小説「夕日よ止まれ」

イメージ 1






















>本名・愛新覚羅顕。“男装の麗人”と呼ばれた美貌のスパイで、“東洋のマタハリ”と謳われた。清朝の王女として生まれるが、その後、日本人の養子となり、関東軍と手を組む。工藤と共に、溥傑らを監視する。 
http://www.tv-asahi.co.jp/ruten/cast/nw/015.html

川島芳子 確か胡桃沢耕史原作の「夕陽よ止まれ」だったと思うが。。
以前よく読んだ。
最期はスパイとして処刑されたか、その最後の写真を見たとき
人間の生涯の有為転変を思わざるを得なかった。

写真は江角まきこ



川島 芳子(かわしま よしこ、1907年5月23日 - 1948年3月25日)は、清朝皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女。
本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)、字は東珍、漢名は金璧輝、俳名は和子。他に芳麿、良輔と名
乗っていた時期もある。
8歳のとき、粛親王の顧問だった川島浪速の養女となり日本で教育を受けた。1927年旅順のヤマトホテルで、関東軍参謀長の斎藤恒の媒酌で蒙古族のカンジュルジャップ結婚式をあげた。 カンジュルジャップは、川島浪速の満蒙独立運動と連携して挙兵し、1916年に中華民国軍との戦いで戦死したバボージャブ将軍の次男にあたり、早稲田大学を中退後1925年「韓紹約」名で陸軍士官学校に入学していた。
彼らの結婚生活は長くは続かず、3年ほどで離婚した。 その後、芳子は上海へ渡り同地の駐在武官だった田中隆吉と交際して日本軍工作員として諜報活動に従事し、第一次上海事変を勃発させたといわれているが(田中隆吉の回想による)、実際に諜報工作を行っていたのかなど、その実態は謎に包まれている。
なお、芳子は戦後間もなく中華民国政府によって漢奸として逮捕され、銃殺刑となったが、日中双方での根強い人気を反映してその後も生存説が流布された


イメージ 2 昭和初期の川島芳子















逮捕・処刑

1945年8月の日本敗戦以降、各地に潜伏していた芳子は、10月になって北平中国国民党軍に逮捕され、漢奸(中国語で「国賊」「売国奴」の意)として訴追され[11][12]1947年10月に死刑判決が下された。ちなみに川島浪速は粛親王の孫娘で芳子の姪にあたる愛新覚羅廉鋁(レンロ)を養女とし、川島廉子(1913年1994年)として入籍させた。 当時の国民党は、芳子の諜報活動の詳細が明らかになる事で、党内の醜聞が暴露され、急下降していた国民党への評価が決定的に傷付けられてしまう事を恐れ、また1947年時点での国共内戦の戦局は北平周囲の華北一帯が既に中共軍の攻撃にさらされるなど国民党側に不利となりつつあり、愛新覺羅家の一員である芳子を中共が利用する事を恐れ、死刑を急いだと伝えられている。
日本では本多まつ江などが助命嘆願運動を展開したが間に合わず、1948年3月25日に北平第一監獄の刑場で芳子は銃殺刑に処された。
川島芳子の遺骨は日本人僧侶の古川大航によって引き取られ、後に信州の浪速のもとへ届けられた。1949年に浪速が死去すると、芳子の遺骨はともに松本市蟻ヶ崎の正麟寺にある川島家の墓に葬られた。

辞世の詩

家あれども帰り得ず
涙あれども語り得ず
法あれども正しきを得ず
冤あれども誰にか訴えん


伝記文学

小説

  • 『乱の王女・1932愛と悲しみの魔都上海』(生島治郎、集英社、1991年)
  • 『夕日よ止まれ』(胡桃沢耕史徳間書店、1993年)
  • 『あじあ号、吼えろ!』(辻真先、徳間書店、2000年)
  • 『満洲国妖艶・川島芳子』(李碧華人民文学出版社編、1999年の香港映画『川島芳子』のノベライズ)





2015年11月30日(月) 14時28分13秒NEW !
テーマ:読書

小説「柳生兵庫助6-7巻」に見る男と女の結び付き(結婚)と別れ




このところ小説「柳生兵庫助」5-8を読み続けた。


その中で兵庫助の最初の妻 千世と巡り合い暮らし


千世の死後 後添の珠との巡り合い暮らし。


兵庫助は小柳生の里の若様と呼ばれる身分


叔父には柳生但馬守宗矩がいる。


史実には柳生利厳(兵庫助)の妻は珠とあり珠は 島左近の娘である。


小説には最初の妻は千世であり 伊賀下柘植の忍者木猿の妹で


千世自身も伊賀の九の一忍者で棒手裏剣を得意とし


若き頃 兵庫助と諸国回遊の旅をして何度か兵庫助の命を助けたこともある


兵庫助想いの女であった。


その頃の千世は兵庫助との身分の違いを思い やがて 想い人


兵庫助が妻をめとるときがあらば 自ら身を引き覚悟を定めていた。


それが思いがけもなく 兵庫助が尾張徳川義直(家康九男)の兵法指南役として500


石が召し抱えられ 妻として迎えられた。千世の想いが遂げられ喜びの日々を過ごし


長男(後 長男は島原の乱で討死) 次男と相次いで生まれ幸せに包まれていた。


が兵庫助に先立ち病気のため他界。


兵庫助の悲嘆と落胆は大きく、 彼は自分の歩んできた兵法剣理の極意を極めんとする人生が虚しく思われたのだ。


そして 妻の供養のため柳生の里を訪れるため 京都のかつて懇意にしていた


商家を訪れたと 何十年ぶりかで珠に出会った。


其のむかし その商家が盗賊に押し込まれたとき 商家の養女となっていた天涯孤独の身の上の珠を盗賊から守り救ったことがあった。 


 兵庫助はまだ嫁いでいない珠を見て商家の主から告げられた。


「珠はいくつも縁談を断り続けてきました。その訳を聞けば 盗賊が押し込んできたあの夜 兵庫助様に助けられ それ以来 兵庫助様を慕い続けてきてすべての縁談を断り続けました。珠の心には兵庫助様しかおらぬのでございます。」


京都を立つさい 商家の主は 


「私どももやがて珠よりさきに旅逝きます。 その後に残る珠が心配なのでございます。どうか珠を召し使ってやってくださいまし。」と頼まれた。


島左近の娘 島左近と祖父柳生石州斉は 親しき間柄にあり これも縁と思い珠の同行を許し 尾張に連れ帰ったが 兵庫助には千世への思慕がいまだ残存して娶る気持ちにはなかった。


 が これが一変したのが 兵庫助が突然の病で意識不明に陥り 26日間


眠り続けたとき お粥を口移しで食べさせ 下の世話までこなし 兵庫助を看病し続けた


珠の熱い愛情であり 慕い続けるけなげな気持ちであった。


兵庫助の高弟高田三之丞が そんな珠を見て 独身であった彼が 兵庫助に珠を


貰い受けたいと申し出て  いずれそのこと珠に話してみるという。


がこの時兵庫助は心の片隅で 珠がいなくなるとなにやら 心寂しげになる自分を感じざるを得なかった。


珠に三之丞との話をすると 珠は丁寧に断り 珠はここにいて 兵庫助に仕えていたいと


想いを話した。


やがて珠は兵庫助と結ばれ剣の才能に恵まれた七之助を生んだ。


新陰流を継ぐ者は世襲制でなく長男でもなく 剣の才能に恵まれなければならない。


先妻の長男次男も後妻珠との間に生まれた七之助も 実の兄弟のように過ごした。


長男は 新陰流の後継者として才能に恵まれなかったことを卑下せず 義弟七之助のため


さらに自分の死に場所を求めて島原の乱鎮圧に従軍し華々しく討ち死した。


 さてこのような話から 男女の巡り合い結びつき(結婚)をふと わが身を振り返りてみて ふと思った。


「女は慕い続け敬う好きな男と結婚するのが幸せ、


男はそのような女性と結婚するのがいいのではないだろうか。


女の気持ちは一途が多ければ その気持ちを持続できる。


が男はもともとそんな気持ちの持続が下手で苦手で長い結婚生活の間 目移りすることも多い
 無論女にもないとは言えないが そのような女の結びつきは 心の結び付ではなく 男の持つ生活力や社会的地位収入仕事などを本能的に感じて結びつくことも多いのではなかろうか?? 真実 敬い好きで愛し慕い続けるならば なかなかそのような仕儀には


相ならないのではなかろうか??


それは ある意味盲目的で従順的に見えるが それが愛するという気持ちの一端であろうか。


男は時として 自分を好いてくれる女に一瞥もくれないような態度仕草言動を取る場合がある。無論それが罪であるとは言い難い。


男と女の愛は狭義の愛であると思っている。 すべからず愛することができるのが


広義の愛だと思っている。 愛に永遠があるのか ないのかわからないが それは個人の資質の問題であろう。浮気症であるかないか わたしは手相で観ることがあった。 


手相はある場合口ほどに眼ほど以上に物言う場合がある。


わたしの結婚も一度ではない。 多くの男女の結びつき別れを見て また自らの


経験の中で ふとそう感じるのである。


この世の中を動かすもの この世の中の男女の結びつき


それはまさしく「縁」そのものであるが 「縁」の捉えを


どのように感ずるかは また個人の観の眼によるところが大きいと思わざるを得ない。 










小説 柳生兵庫助 津本陽

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